大阪地方裁判所 昭和40年(わ)3620号 判決 1967年3月28日
被告人 川畑実
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は
被告人は松本勝則と共謀して、昭和四〇年七月二六日午後六時五〇分頃、大阪市天王寺区堂ケ芝町国鉄環状線桃谷駅到着の大阪駅行電車内に於て、高木保雄着用のズボン後ろポケツト内から同人所有の自動車運転免許証外雑品三点在中の黒皮製二ツ折定期券入一個(時価八百円相当)をスリ取り窃取したものである。
というのである。
よつて案ずるに、右日時場所に於て、高木保雄が右の如き窃盗の被害に遭つたことは、同人提出の被害届、証人松本勝則の当公廷に於ける数次に亘る証言、その他一件記録に徴し明白であるところ、右は専ら松本勝則(右証人)の実行行為にかかり、被告人は右実行行為(共謀による見張り行為は実行行為であるとするならばこれを除く)の全部ないしはその一部にも加担したものでないことが明らかである。従つて本件につき所謂実行共同正犯(共謀による実行共同正犯をも含む)の成立はこれを否定する外はなく、所謂共謀共同正犯の成否がその焦点と認められ、本件審理の過程もこの成否を中心に進められ、かつ争われたので、以下被告人が右松本の本件所為につき、これと所謂共謀に基く責任ありやにつき審究することとする。
当日松本が自己が入院中であつた尼崎市所在の近藤病院付近の酒店で飲酒中、偶々同店前を通りかかつた被告人を呼び止めて共に飲酒し、揃つて阪神電車で尼崎駅から梅田駅に出て、国鉄環状線に乗り換え、天王寺まで行つて再び福島駅まで引き返し、更に天王寺駅に逆戻りしてまた再び桃谷駅にとつて返し、そこで松本だけが本件のスリ現行犯として警察官に逮捕されたこと、そして本件犯行は両名が最後に天王寺駅から桃谷駅に逆戻りする車中間に於て行なわれたこと、以上は松本の証言、被告人の当公廷での供述、並びに一件記録に徴し明らかである。
検察官は松本と被告人の本件についての共謀は主として右酒店に於て行なわれ、その結果被告人がこれが見張りの役、あるいは盗品をいち早く松本から受け取りこれを隠匿する役、を受け持つことになつて、以後前示一連の行動がなされたと主張するに尽きるようであるが、それが真実であるとするならば、被告人は松本とともにその責を免れ得ないことは言うまでもない、しかしこれに対し、被告人はその様な共謀をした事実はない、それより前、松本に五千円の貸金があり、右酒店では松本が寺田町の友人から金を工面してこの借財を返済するという誘いに乗つて漫然同行したに過ぎず、その時松本がスリを働いてこの返済をするの意図であつたことは全く知らなかつたと供述してその犯意を否認し、松本も当公廷での数次の証言に於て一貫して自らの単独犯行なることを自認し、被告人に些かの責もない旨証言するのである。被告人の供述と松本の各証言を綜合すると、松本が被告人に五千円の借材があつたこと、松本は右酒店で被告人と飲酒中偶々被告人が西九条駅付近の被告人の当時の勤先に給料の残りを貰いに行く途中であることを聞知し、被告人が同道すればスリを働いて右借材を返済すべくそれで返済出来なければそれもよし、あわよくば被告人から右給料のうちまた幾ばくかを借り受けようとの意図の下に、被告人が右勤先に行くのをあと廻しにして自分に同道することを求め、被告人もこの誘いに乗つて松本に同行したことが認められるのであるが、その時両者間にスリの共謀が行なわれたこと(それが概括的であることは勿論である)は勿論、松本が右意図を被告人に明かしたということもこれを認めるに困難で、むしろ松本はこの意図を秘して被告人に同道を求めたのではないかとの疑いが生ずるのである。ところが、右酒店を出てのち、大阪駅から環状線に乗車するに際し、松本が被告人に対して、乗降口は何時も別々にし、たえず自分(松本のこと)から目を離さず、自分が下車すれば直ちに下車すべきことを指示したこと、前示の如く被告人は松本とともに環状線を大阪駅から天王寺駅、福島駅、再び天王寺駅、桃谷駅へと、同一線を転々往復して行を共にしておるに拘らずその間被告人に於て疑念の一言すら松本に発した形跡はないのであつてこれは被告人と松本との間に何らかの意思の連絡がなければ到底常識では納得出来ない行動といわざるを得ないこと、しかも前示近藤病院には松本と被告人にとつて共通の友人たる山田哲夫なる者が入院していたことがあり、同人もスリ仲間であるところから松本の正体を知つていて、被告人はかねて同人から松本もスリ仲間であることを聞知していたこと、以上のことがこれまた松本の証言、三田正吉の証言、被告人の当公廷での供述によつて認定ないし推定出来るので、本件につき、松本、被告人両者間に共謀の事実が絶対になかつたとまで断定するには些か躊躇せざるを得ないのである。尤も松本は乗降口云々の指示をしたのは、スリを働いて借財を返すことを被告人に知られ度くなかつたし、万一の場合は被告人に迷惑がかかり、ともに逮捕される事態があつてはとの配慮からであつたと証言しており、この弁解は首肯出来ないことではなく、さらに環状線を転々としたのも、松本が寺田町の友人が帰宅する時間にはまだ間があり、今から行つても早過ぎると言うので、疑念はあつたがつい同道して廻つたという被告人の弁解も、被告人の供述の態度と、それから推知される被告人の性格の一端から見て強ち偽弁とは認められない。のみならず被告人に於て松本がスリ仲間であつたことをそれまでに聞知していたという事実から直ちに本件につき共謀があつたとすることは早計であつて、さらに他に何らか的確な証拠が必要であるといわざるを得ない。またなお最初に、大阪駅から天王寺駅に降り、再び福島駅で下車するまでの間に、乗客からスリ取つた財布を松本は福島駅のベンチで、その中をあけて金の入つていないことを被告人に見分させた事実があり、このことは松本の証言と被告人の当公廷での供述で明らかであるところ、これについては松本はその財布を自分の財布である如く見せかけて、このとおり金を一文も持つていないから友人から工面して借財を返済するのである旨、被告人に納得させるための演技であつた趣旨の弁解をするのであるが、しかし被告人は松本に金のないことは既に承知の上で同道していた筈で(前示)、今更こと改めて松本が被告人に諒承を求めなければならない程の特段の理由は全く認められない許りか、被告人も唐突として出でた松本の右不可解な挙に対して疑念の一言すら発していないことを付加すると、これは松本が被告人に対してスツた分け前は零である旨納得させた場面であつたのではないか、そうだとすれば、このことと、松本、被告人の前示各弁解にかかる各事実(乗降口云々の事実、転々環状線を往復した事実、松本がスリ仲間であることを被告人が聞知していた事実)を併せ考えるとき、少くとも被告人は疑念はあるものの松本の前示意図を察知し、貸金さえ支払つて貰えればとの期待の下に、漫然松本に同行したのではないかと思われるのである。しかしそうだとしても、さらに一歩を進めて本件につき両者共謀の事実を認定するには他に更に的確な証拠を必要と見るのが相当であるといわざるを得ない。
そこで他に的確な証拠ありやの点につき案ずるに、右松本の司法巡査に対する供述調書(二通)と検察事務官に対する供述調書によると、本件につき松本と被告人との間に共謀の事実ありとの認定をするに足る供述があるが、松本の数次に亘る証言に照すと、当日被告人が松本と行動を共にしたという意味の表現にすぎず、所謂共謀の上本件に及んだという意味ではない、被告人の氏名を明らかにしたのも、警察に於ける、追及に屈したために外ならない、それも被告人が無実であるから起訴されることはあり得ないと信じたためであるとの趣旨の弁解はその供述の態度から見ても強ち虚言とは認め難く一顧に値するものというべきで、これは証人三田正吉、同木村三郎、同衛藤進の各証言、松本の検察官に対する昭和四一年一〇月八日付供述調書、並びに証第一号に依つても覆すことは出来ない。本件につき松本が別に起訴されて審理を受けた際の第一回公判調書に於ける供述記載に依つても結論は同様である。被告人の司法警察員と検察事務官に対する各供述調書、本件につき被告人及び松本がそれぞれ勾留された際の各弁解録収書(被告人については二通)も、松本の証言と被告人の当公廷に於ける供述に照し、措信しない。他に被告人の本件共謀の事実につきこれを立証するに足る証拠はない。
本来、共謀共同正犯が成立するには、二人以上の者が特定の犯罪を行なうため、共同意思の下に一体となつて互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よつて犯罪を実行した事実が認められなければならない(最高裁昭和三三年五月二八日大法廷判決)。勿論右の如き共謀に参加した事実がある以上、直接実行行為に関与したか否かは問うところではないが、単に他人の犯行を認識しているだけではその者を共謀者であるということは出来ないのである(最高裁昭和二四年二月八日第二小法廷判決)。本件についてこれを見るに、既述したところから既に明らかであるように被告人には松本と相謀つて見張り役を引き受けたという事実は勿論のこと、盗品を隠匿する役を引き受けたとかその他前示の如き共謀者であつたことを立証すべき的確な証拠はないのである。松本の前示の如き意図を察知して自己の利益のために漫然松本に同道したとの疑いがないとはいえないが、そうだとしても、それは松本の本件犯行を認識していたというに止まり、これを以て被告人を共謀者であるとすることは出来ない。これは右判例に示すところである。
以上説示したところに依り、本件は結局犯罪の証明なきに帰し、刑訴法第三三六条の規定に従い、被告人に対して無罪の言渡しをすべきものである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 水沢武人)